トイストーリー3で完結したと思われていたシリーズ作品に、新たなストーリー4が追加され、何故ストーリー4が制作されたのかという意図が読めないことや、結末に納得がいかないトイストーリーファンも多いようです。
今回は、ジョシュ・クーリー監督の思いやウッディの決断の意味など、完結編となるストーリーの結末を解説し、なぜ続編が制作されたのかについてまとめます。
トイストーリー3が完結編だったという周知
トイストーリーは、「トイストーリー」「トイストーリー2」「トイストーリー3」の3つでトリロジーが成立しています。
トリロジーとは、簡単に言うと「3部作」という意味で、トイストーリー1~3の3つの作品で、1つの物語を完成させているということです。
監督やファンの間でも、トイストーリーは「3」で完結していると周知されていました。
ところが、その完結した作品に、続編となる「トイストーリー4」が登場したことで、世間では騒がれました。
理由は、「なぜトイストーリー4の存在が必要なのか?」ということがいまいち分からなかったからです。
さらに、トイストーリー4を見た方の中にも、「ウッディの結末」がなぜそうなったのか、分からないし、駄作にさえ感じてしまうという意見も上がっています。
ディズニーもトイストーリーも好きだから、まぁ良しとするという感想もある中、トイストーリー4という作品がどれだけ大事なメッセージを含んでいるかについて、詳しく解説していきたいと思います。
完結編と言われたトイストーリー3の結末
トイストーリーは、おもちゃの世界を舞台にした物語です。
主人公はウッディというカウボーイの人形のおもちゃ。
ウッディは、アンディという男の子のお気に入りのおもちゃです。
「トイストーリー」の最初のお話では、アンディの元に届いた新しいおもちゃ・バズ・ライトイヤーに、ウッディは敵対心を燃やしますが、最終的に、おもちゃはみんな仲間だということをウッディは理解しました。
「トイストーリー2」では、ウッディは「おもちゃを大切にする子」と「おもちゃを大切にしない子」を経験し、おもちゃを大切にする子のおもちゃとして存在していることがどんなに幸せなことであるのかを知りました。
そして、「トイストーリー3」では、おもちゃを大切にする子も、やがて大人になり、おもちゃを必要としなくなる。
そんな時に、おもちゃのウッディは、自分の持ち主がアンディでなくなっても、他の「おもちゃを大切にする子」と出会えれば、存在意義を見つけられるということを理解しました。
なぜトイストーリー4が本当の完結編となったのか
トイストーリー1~3までは、ウッディがおもちゃとして製造されてから、1人の持ち主の手に渡り、その初めての持ち主から卒業するまでが描かれています。
こうして考えると、トイストーリー3は、確かに1つの物語の完結編ととらえることができます。
現に、トイストーリーのプロデューサーのマーク・ニールセンも 「1~3作目は“3作でワンセット”のようにして映画がつくられていたと思います」と語っています。
そして、 マーク・ニールセンは、「 3作目で話が終わったとみなさんは思っているかもしれませんが、実はまだ1作分、ウッディには“学ばなければならない”ことがあるという設定となっています 」とも語っています。
トイストーリー3を制作して、素敵な1つの物語が完成したと達成感に浸っていた制作陣でしたが、その中の1人、脚本家のアンドリュー・スタントンは気がついてしまったのです。
トイストーリー3は「人間的な視点からすれば完結している」ということにです。
トイストーリーは、おもちゃの世界が舞台となっており、おもちゃたちが主役の物語です。
であれば、本来は、おもちゃの主人公であるウッディの視点から物語が完結して初めて、トイストーリーは完結したと言えるのではないでしょうか?
しかし、トイストーリー3は、人間の視点を基準にして物語が完結しています。
つまり、トイストーリー1~3は、「アンディという1人の男の子が、成長を遂げたこと」が物語のメイン舞台になってしまっていて、「おもちゃのウッディが成長を遂げたこと」が軸にないのです。
トイストーリーという作品が、おもちゃがメインのキャラクターとして制作されている限り、おもちゃの主人公ウッディの成長の結末が、トイストーリー3の完結編として飾られるべきでした。
しかし、トイストーリー4を見ると、トイストーリー3では、ウッディの成長の結末が描かれていなかったことに気が付きます。
脚本家であるアンドリュー・スタントンは、どこまでもおもちゃに視点を置くことで、この事実に気がついていたのだと思います。
だから、おもちゃがメインのトイストーリーを、おもちゃのウッディに最後まで視点を置いた完結編を作って、本当の意味でトイストーリーを完成させたかったのだと思います。
トイストーリー4の結末・ウッディの決断の意味
主人公のウッディは、ボー・ピープという最愛の人(おもちゃ)との再会を果たした訳ですが、最終的に、持ち主のボニーのところへおもちゃの仲間たちと戻ることを考えます。
「僕はボニーのおもちゃだから、ボニーのところに戻らなければいけない」という考えを持つウッディは、最愛の人ボー・ピープに別れを伝えようとします。
しかし、自分のことをよく知る仲間の1人のバズ・ライトイヤーに「大丈夫だ。君がボー・ピープと人生を進んでも」と言われ、ウッディは、ボニーのところへは戻らずに、自分のための人生を歩むことを決意します。
このウッディの「持ち主のところへは帰らずに、自分の為に人生を歩む」という決断は、ウッディにとってとても大きな決断でした。
これまでは、ウッディはいつも、おもちゃの持ち主である人間の子のことを第一に考えて生きていました。
しかし、トイストーリー4では、自分の幸せを第一に考えて生きていくという決断を下したのです。
完結編トイストーリー4のネタバレ結末を解説
トイストーリー4の新キャラクターのギャビー(人形)は、アンティークショップで人間に「欲しい」と思われることがないまま、辛い思いをしていましたが、ウッディたちと遊園地へ飛び出したことがきっかけで、迷子になっている女の子を助け、結局その子の元で生きることになりました。
待っているだけではなく、自分で行動を起こしたのです。
同じくトイストーリー4の新キャラクターのデューク(バイク乗り)は、バイクで飛べると信じていたところで、それがただのテレビコマーシャルで謳われていただけだったと知り落ち込みますが、ボー・ピープに「自分らしくあれ」と励まされ、大ジャンプを成し遂げます。
同じく、新キャラクターのフォーキーは、劇中でずっと使い捨てフォークだと信じてきている為に、一度使われた自分のことをゴミだと認識していましたが、ボニーによっておもちゃに改善され、生き続けることができていることを不思議に思っています。
つまり、自分の価値観が正しいとは限らないということを体験しています。
さらに、トイストーリー4で重要なキャラクターとなったボー・ピープは、トイストーリー2でアンディーやウッディの元を離れた後、自分で人生を切り開く生き方をしており、「美しく可愛かった人形の置物」が「強くたくましく勇ましい人形の置物」と成長していました。
このように、トイストーリー4の結末を見て分かることは、トイストーリー4は、おもちゃたちの「存在意義においての価値観」についての物語だったということです。
トイストーリー1~3までは、「おもちゃとは、人間の子に大切に遊ばれてこそ幸せである」という人間の視点を中心に描かれていました。
しかし、ウッディは、人間に必要とされるかどうかではなく、自分の力と意思で幸せになるという成長をトイストーリー4の中で達成したのです。
今までは、「人間の子に大事にされたら幸せ」と考えていたウッディですが、これはつまり、「人間の子が自分を必要としなくなったら、幸せではない」ということであり、ウッディの幸せが「人間次第」です。
ウッディの幸せが人間にかかっているという状態は、ウッディが自立した状態ではないことを意味し、ウッディの成長が完結していないということです。
しかし、トイストーリー4で、人間に大切にされるかどうかにかかわらずに、自分で幸せになる方法と強さをウッディは見つけました。
このウッディの自立こそが、おもちゃであるウッディの成長の達成であり、このウッディの視点に重きをおいて制作されたトイストーリー4が、トイストーリーの本当の完結編となっているのです。
確かに、おもちゃが人間から自立するなんて、ちょっと行き過ぎた感じがするかもしれませんが、そもそもトイストーリーはおもちゃに意識を吹き込むという、言うなれば、行き過ぎたストーリー設定です。
おもちゃが人間から自立するというストーリーがあってはならないのならば、意識を持たないおもちゃに意識を吹き込んだことも、そもそもあってはならないことになってしまうのではないでしょうか。
おもちゃに一度命を吹き込んだのならば、おもちゃだって、人間のように自分の為に自立していくのです。
トイストーリー4は、おもちゃの視点で飾る完結編なのでした。
トイストーリー4の続編はあるか
ジョシュ・クーリー監督は、トイストーリー4の続編があるかどうかの質問に対して、「 第5弾はない。それでいいと思っている。ウッディの冒険は終わった」ということを言っていました。
つまり、今の段階では、トイストーリー4の続編はないということです。
しかし、同時に「将来的にいい案があれば別だけど」と言っていたので、また、おもちゃたちの為にできることがあることに気がつくことがあれば、映画制作をする可能性もなくはない、といったところでしょうか。
トイストーリー4は、おもちゃを愛する人々によって、おもちゃ目線で最後まで作られた完結編なのでした。