「ひぐらしのなく頃に」に登場する沙都子の叔父は、「祟殺し編」で死んでしまいます。
しかし、一連の流れには不可解なことが多く、本当に死んでしまったのか疑問が残ります。
そこで今回は謎が多い沙都子の叔父の死について、考察してきたいと思います。
またその事件に深く関与している圭一が、行ってもいない祭りに行ったことになっているのはなぜかという謎についても触れていきます。
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【ひぐらしのなく頃に】圭一は沙都子の叔父を殺害する
沙都子は両親を事故で失っていて、梨花と暮らしていました。
しかしある時、沙都子の叔父が雛見沢に戻ってきたことで、沙都子は叔父と一緒に暮らすことになります。
叔父は沙都子にあたりが強く、虐待をしていた過去がある人物でした。
そんな叔父と再び暮らし始めため、沙都子はすごく怯えるようになり、次第に壊れていきます。
圭一は、壊れていく沙都子の体にできたおびただしい虐待の痕を見て、怒りに震えます。
そして、沙都子を叔父の虐待から救うため、綿流しの祭りの日に叔父を呼び出し殺害してしまいます。
【ひぐらしのなく頃に】沙都子の叔父の死体が行方不明になる・・・
圭一は叔父を殺して、穴を掘って死体を埋めました。
しかしその帰り道、入江診療所の看護婦の鷹野と遭遇します。
そして鷹野は、圭一に向かって、「死体はうまく埋められたか?」「穴が浅いと野犬がかぎつけて掘り起こしてしまう」など、すべてを悟っているかのような発言をします。
鷹野の発言に圭一は動揺が隠せません。
しかし鷹野はなぜか、「お互い今夜は出会わなかった」と言い、圭一は難を逃れます。
ただ、鷹野から死体が掘り起こされてしまうという話を聞いた圭一は、「死体が見つかってしまう」と不安になり、叔父を埋めた穴を見に行きます。
しかし、そこにあるはずの叔父の死体は消えていて、どこにも見当たりませんでした。
【ひぐらしのなく頃に】沙都子の叔父は死亡したのか?
圭一が死体を埋めたと思っている穴は、確かに一度掘った形跡がありました。
しかし、死体はどこにも見当たらないのです。
そもそも、叔父は本当に死んでいるのでしょうか?
それとも、実は生きているという可能性はあるのでしょうか?
ここからは、叔父の生死について考察してみました。
考察1:死亡した
圭一は金属バットで叔父を何度も殴っていました。
叔父は血だらけでしたし、最後にバットで叔父を揺すり、動かないかどうかも確認しています。
必要以上に殴っていましたし、びくともしないところをみると、死亡したと見るのが妥当かなと思います。
考察2:生きている
圭一が叔父を殺した後に、沙都子の家に行くと、証拠隠滅のため沼に捨てた叔父のバイクがなくなっていました。
なので、生きているというのは少し考えにくいかもしれません。
しかし、沙都子は圭一からすると絶対にいるはずのない叔父が生きていると言っています。
叔父を殺害したすべての行動が、実は圭一による妄想で、現実ではないのだとしたら、生きているという可能性もありえそうです。
【ひぐらしのなく頃に】沙都子の叔父の死体が行方不明になっていた理由を考察!
ここからは、なぜ死体は消えてしまったのかについて考察していきたいと思います。
≪沙都子の叔父が死亡しているなら、死体がなくなっている理由は・・・≫
まずは、叔父が死んでいるということを前提に、死体がなくなった理由を考えていきます。
考察1:圭一の妄想
圭一は、雛見沢症候群にかかっている状態だったと思われます。
雛見沢症候群かかると、起こってもいないことを妄想してしまうという症状が出ます。
なので、死体が掘り起こされてしまったというのが妄想の可能性もあります。
圭一は、あらかじめ死体を埋める穴を掘っていましたが、叔父を殺害した時にその穴がどこにあるのか分からなくなり、当日にもう一度穴を掘りました。
つまり、死体を埋める穴は2つあったことになります。
もしかすると、不安になって掘り返した穴は、事前に掘っていた穴のほうだったので、死体を見つけることが出来なかったのかもしれません。
なので、もう一方の穴には圭一が埋めた死体が残っている可能性があるのではないでしょうか。
考察2:圭一を救いたい人が隠蔽
圭一は、綿流しの祭りの前日、魅音に電話をしています。
その際、魅音は圭一の様子がどこかおかしいことに気付いていたので、圭一がしようとしていることにも気付いていたかもしれません。
死体が見つからなければ、事件にはならず、圭一が疑われることもありません。
そこで、魅音か、もしくは園崎家で叔父の死を隠蔽したのかもしれません。
考察3:山狗(やまいぬ)の目的のために利用された
山狗は秘密裏に行動する自衛隊の組織で、雛見沢で主に女王感染者、つまり梨花の護衛をする役割をしています。
また、入江診療所とも深い関係にある組織なので、そこで働く鷹野とも繋がっています。
圭一は、叔父を殺した帰りに鷹野に遭遇しているので、鷹野は圭一のしたことを知っている可能性があります。
沙都子の叔父の死は、鷹野や山狗にとっては、都合の悪いことだったのではないでしょうか?
また逆に、鷹野や山狗はなんらかの計画のために、死体が必要だったため、叔父の死体を回収したと考えることもできるのではないでしょうか。
≪沙都子の叔父が生きているなら、死体がなくなっている理由は・・・≫
次に、叔父が実は生きているということを前提に、死体が消えていた理由を考えていきます。
考察1:叔父は穴から脱出した
圭一は、叔父を埋めるための穴を掘り直しています。
もしかすると、その時掘った穴は浅かったのではないでしょうか。
叔父は気を失っていただけで、目覚めた時に自分が埋められている穴がそこまで深くないと気付き、手や体をつかって、自力で脱出したなんて可能性もあるかもしれません。
脱出しているのに叔父が見つからないのは、傷を負っていてどこか見つかりにくい場所で倒れているというのが妥当でしょうか?
考察2:圭一の「殺した」が妄想だった
叔父が死んでいた場合の考察でも触れましたが、圭一は、雛見沢症候群を発症していたと思われます。
なので、「殺そうとしている」という感情が、「殺した」という妄想に変わってしまったのかもしれません。
全てが妄想だった場合、ただ穴を掘って、埋めただけだったということも考えられるのではないでしょうか。
考察3:鷹野が叔父をかくまった
圭一が、叔父を埋めようとしている時、車が1台通り過ぎます。
この車が鷹野だったのかもしれません。
鷹野は圭一の行動の一部始終を見ていて、叔父が生きていることに気付き、埋められた叔父を後から救出したのかもしれません。
その後、鷹野は再び圭一を見つけ、車で送ることになりますが、その際にトランクは開けられないと言っていました。
もしかすると、救出した叔父がトランクに隠されていた可能性もあるのではないでしょうか?
【ひぐらしのなく頃に】お祭りにもう1人の圭一がいた理由は?
圭一は綿流しの祭りの日に、叔父を殺しているはずなので、祭りに行っていません。
しかし、翌日学校に行くとクラスの全員が、圭一は祭りにいたと言って、その時の状況を話してくれます。
いるはずのない圭一はなぜ祭りにいたのでしょうか?
この不可解な状況は何が原因なのか、いくつか考えられる理由をまとめてみました。
考察1:圭一のドッペルゲンガー
まずパッと思いつくのは、ドッペルゲンガーの存在です。
圭一のドッペルゲンガーがいるのであれば、周りの誰もが圭一だと思いますし、疑われることもありません。
この作品をジャンル分けするならば、ホラーやサスペンスのジャンルになると思います。
なので、ドッペルゲンガーという存在がいてもおかしくはないかなと思います。
考察2:みんなが圭一を守るアリバイ作りのために嘘をついている
雛見沢の人間は、一人の敵はみんなの敵という考え方をしていて、みんな団結しています。
なので、圭一が祭りにいたということにして、叔父殺しの犯人にならないようアリバイを作った可能性も考えられます。
みんな以前から沙都子の叔父の存在をよくないと心のどこかで考えていたとすれば、圭一の計画に協力する理由は十分あります。
そのため、悪に立ち向かった圭一を守ろうと全員で嘘をついているのではないでしょうか?
考察3:殺したのは妄想で、実はお祭りに行っていた
何度も言っていますが、圭一は雛見沢症候群になっていたと考えられます。
なので、実は叔父を殺すという計画からすべて何もかもが、圭一の妄想の中の出来事だったなんてオチもないとは言い切れません。
実際は、お祭りにもちゃんと行っていたのに、叔父を殺すという妄想が強すぎてその記憶すら書き換わっているのかもしれません。
圭一の視点で、物語を見ているため、圭一の妄想を見せられただけという風に考えることもできます。
そう考えると、圭一は犯罪に手を染めておらず、単純にお祭りを無邪気に楽しんでいただけだったのではないでしょうか?
これは、自分で予想しつつも、とてもハッピーな結末ですね。
まとめ
今回は、謎の多い沙都子の叔父の死について、色々と考察してみました。
あくまで、考察なのでこんな考えもあるかなという軽い気持ちで見て頂けたら嬉しいです。
「ひぐらしのなく頃に」は、アニメ1期が出題編となり、多くの謎が描かれていきます。
そして、解決編となるのがアニメ2期なのですが、叔父の死に関しては、解決編でも特に触れられておらず、なにが事実なのかは想像するしかありません。
しかし何度か見ることで、新たな発見をすることが出来る場合もあります。
些細なことでも実は重要なセリフなんてこともあるので、繰り返し見て、もっと色々発見してみたいなと思います。