映画「天気の子」の公開が近づき、物語の原作や、元ネタとなった小説などに興味がわきますね。
残念ながら「天気の子」の原作と評される小説は出ていませんが、元ネタになった可能性が高い、ストーリー内容が酷似している海外の古い小説がありました。
主人公も、森嶋帆高とほとんど同じ状況です。
今回は、そんな元ネタになったかもしれない小説と映画を比較してみました。
天気の子の原作・元ネタになったかもしれない海外小説
映画「天気の子」は、映画監督で小説家でもある、新海誠氏によって描かれたオリジナル作品と言われています。
しかし、注目すべきは、映画の中に登場する小説本。
なんと、映画「天気の子」と同じようなストーリー性が描かれているではありませんか!
ということで、今回は、「天気の子」に登場した、海外の小説本について少し深掘りしてみました。
「天気の子」に登場する、元ネタであったかもしれない小説本
映画「天気の子」を見ていると、ある有名な海外小説が登場していることに気がつきます。
東京に出てきた森嶋帆高は、最初ネットカフェに寝泊まりするようになりますが、そこで、「The Catcher in the Rye」というタイトルの小説を読んでいます。
「The Catcher in the Rye」は、日本では「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルに訳されて出版されています。
そして、「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことがある方はピンとくるかもしれませんが、この「ライ麦畑でつかまえて」に登場する主人公の男の子こそが、映画「天気の子」の主人公・森嶋帆高と酷似しているのです。
「天気の子」に登場する主人公の森嶋帆高のモデル
映画「天気の子」は、森嶋帆高(もりしま ほたか)という高校生ぐらいの男の子が、離島にある実家を出て、東京で生きていこうとするお話です。
離島で生まれ育った森嶋帆高は、今まで経験したことがない東京での生活に胸を膨らませています。
しかし、現実での東京は、森嶋帆高が落胆するほどの荒廃的世界でした。
東京という都市は、日本で一番栄えている都市。
そして、例えば沖縄などの離島や、過疎化した地域は、田舎と表現することができますが、東京のような巨大都市と、田舎の違いは、地域が栄えているかどうかだけではなく、住んでいる人にも極端な違いが見受けられます。
例えば、田舎生まれ、田舎育ちの人は、多くの場合、ゆったりしていて心にゆとりがあり、心を中心に生きている人が多いです。
比べることに、東京で生まれ育った人の多くは、田舎暮らしの人に比べて、心にゆとりがない傾向にあり、頭がとてもよくて、頭を中心に生活していることが多いです。
映画「天気の子」の森嶋帆高は、離島から東京へ移住したことで、この「心の世界」と「頭の世界」のギャップに苦しむことになるのです。
東京で憂鬱さを感じる森嶋帆高の心模様を表現するかのように、雨は続きます。
憂鬱な雨空は、森嶋帆高というキャラクターが経験している心の憂鬱さの象徴だったのです。
そして、森嶋帆高は、雨空を晴れ空に変えることができるという「100%晴れ女」の天野陽菜に出会います。
天野陽菜は、森嶋帆高とは違って、荒廃した東京という場所で生まれ育ちました。
しかし、森嶋帆高のように、社会や世界の憂鬱さに負けない明るい心を持っています。
天野陽菜のキーポイント「晴れ」は、天野陽菜の心の明るさの象徴でした。
森嶋帆高は、天野陽菜にどんどん惹かれていきますが、その根本的な理由は、自分が憂鬱さを感じる東京でも、明朗な性格を持つことができている天野陽菜に、勇気をもらい、心のどこかで尊敬しているからなのでした。
そんな森嶋帆高ですが、有名な海外小説「ライ麦畑でつかまえて」に登場する主人公と共通点があります。
「ライ麦畑でつかまえて」に登場する主人公ホールデン・コールフィールド
「ライ麦畑でつかまえて」という長編小説は、1951年にアメリカで出版されました。
主人公の名前は、ホールデン・コールフィールドといい、彼は17歳の少年で、森嶋帆高と同じくらいの年齢です。
さらに、ホールデンは高校を中退しており、森嶋帆高と同じような境遇です。
ホールデンは、高校に通っていましたが、一般的に「正しい」と言われるような「学力を上げること」や、クラスメイト達の奇行(これも世間的には普通のこと)に、ついていけません。
社会や世界の在り方に憂鬱さを感じているのです。
ホールデンは、高校を中退し、アメリカの大都市ニューヨークに出ていくことにします。
しかし、あこがれの大都市ニューヨークで経験したものは、地元よりもさらに異様な社会や世界の在り方なのでした。
ニューヨークでの生活を始めて見ると、ホールデンは同世代の若者たちと出会いましたが、みんな俗物性があり、ホールデンが求めるような人間像がいないことに嫌気がさします。
「この世界はなぜここまで狂ってしまっているのか」ということに、ホールデンは挫折感を味わうのです。
そんなホールデンの憂鬱な雨模様の心を晴らしてくれたのは、「ライ麦畑で誰かが私を捕まえたら」という歌を歌っている子供たちでした。
つまり、純粋な心を持つ、ホールデンが望むような人物像を持つ子供たちです。
世の中の全てが気に入らないというホールデンが目指しているものは、ライ麦畑のキャッチャーのようなものだと言います。
「ライ麦畑のキャッチャー」とは、「広いライ麦畑で、子供たちが楽しく遊んでいて、そこには、今の憂鬱な世界を作っている大人たちはいない。そして、遊び楽しむことに夢中になってライ麦畑の淵へ転がり落ちそうになる子供がいたら、それを助ける存在」で、ホールデンはこういう仕事をしたいと言っています。
ホールデンは、冗談ではなく、本気でそう願っていますが、同時に、そんな夢が馬鹿げたものであることも知っています。
ホールデンには妹がいて、妹にそのような世界観について話しています。
兄・ホールデンの世界観を聞いた妹は、ホールデンの後をついて行きたいと言います。
しかし、ホールデンは、妹の申し出を断ります。
その後、2人は一緒に動物園に行きますが、そこでメリーゴーランドに乗る妹を見たホールデンは、雨が降る中で幸福感を感じるのでした。
まとめ
映画「天気の子」は、小説「ライ麦畑でつかまえて」を原作・元ネタにしたとは公言されていませんが、
- 社会や世界に憂鬱さを感じている男の子が主人公
- 主人公は高校生ぐらいの男の子
- 主人公は、田舎から大都市に移住してさらなる憂鬱さを体験する
- 雨がキーとなって登場する
- 映画「天気の子」の中に小説「ライ麦畑でつかまえて」が登場する
という点を踏まえると、元ネタになった可能性が高いと私は思います。
いずれにしても、映画「天気の子」を制作した新海誠監督は、小説「ライ麦畑でつかまえて」より、なんらかのインスピレーションを受けているということができるのではないでしょうか。
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